Xenophobic Malevolent Iconoclasts / XMI

入隊当日の試合スコア

    最も長く在籍し、中堅メンバーのひとりとして帰属意識も高かったクランです。

    日本のCTFクランをやめたあと、翌年(1999)の7月にやはりQ2CTF専門のクランXMIに入りました。誘ってくれたのは東南アジアに住む中国系のC*1で、同じ時間帯に遊べる相手が欲しかった由です。キーボーダーであることを言うとマウサーへ転向するよう口説きはじめましたが、私は承知しませんでした。クランは米国西岸の住人が主で、中部・東部・カナダにも少数いました。Cの他にも中国系の人が数人いました。これで、クランの名称「外人嫌いの悪意を持った偶像破壊者」は特に意味が無く、単に略称の頭にXを使いたかったのだろうということが分かります。平均年齢は20代前半くらいだったと思います。30代の人も2名はいました。リーダーは西部に住むAで、彼の年齢は知りませんし、いいやつでしたが精神年齢はガキでした。

    私にとってクランに入る意義の第一は定期的に試合ができること*2です。このクランはOGL(Online Gaming League)のCTFモデムラダー*3に属し、既に5ないし6試合を順当に勝ち上がっていて、私が入隊した日にもその日試合に勝ったことを聞かされました。しかし結果的にこの試合がXMI最後の公式戦でした。

    クラン同士の正式な試合*4では、時として一方のクランが何かしらの理由で期日の延期を要求し他方がこれを認めないトラブルがありました。期日が迫ってから延期を申し立てた側を不戦敗にするかどうかのリーグの運営側による裁定には不満を持つ者が多かったようです。XMIの次の試合で相手クランBangHoleの要求した延期の件でXMIのリーダーが当然これは不戦勝だろうと思っているとOGLは延期を認めたので、リーダーはそれに抗議しあげくの果てにキレて「おまえらに仕切らせるばかりが公式戦じゃねえ」と啖呵を切り、リーグを脱退してしまいました。

*1:ネット上の親友でFPSのライバルで、上質のアングラFTPサイトとかBitTorrentとかは皆この人から教わったし、以前は私のPCの調子の悪いときの相談相手でもあった。

*2:もちろん、そのための練習も含む。

*3:ある程度の公平を期してリーグ内にゲームの種類ごとにHigh PingとLow Pingの二つのラダーを設けたり、それぞれ別のリーグになっているのが普通だった。

*4:クランの試合というのは数日前から日取りその他の対戦条件を決め、メンバーの予定を調整し、勝つために相手の強み弱みを研究し、演習して万全の体制で臨むようなものを"clan match"といい、話が出たその日のうちとか翌日などに出られるメンバーを呼び集めてやるような練習試合的なものをscrimmageとかscrimなどと呼ぶ。